すぐに使える喚起テクニック4選
ブログも残すところあとひとつ、本日夜には三味線文化譜を掲載しますが、先にご挨拶させて頂きます。
今年の破沙羅記念日も今日で終わりです。
お読み下さった方、ありがとうございました。
毎年この三日間を破沙羅を想うよすがにしようとせっせとブログを書いて参りましたが、さすがにネタ切れです。来年はもう書くことがないかも。
昨年の二次創作ですべてのキャラクターを書き終え筆を置いたとき、
「あたしをお忘れでないかえ?」
と出てきた方がいて、今年もお話を書くハメになりました。
義経は何故その場にいる者すべての心を捉える舞を舞えたのか?との自分の疑問から出発した話ですが、実は裏設定がありまして。作中で阿国とされている女性は出雲の阿国かもしれないし、阿国を彷彿とさせる別の女かもしれない。恋人は名古屋山三かもしれないし、別の男かもしれない。ひとつ言えるのは、彼女ははるか昔から舞の道を究めんと、人外となって現代まで長い時を生き続けているということ。
前作のラストの義経の言葉「力を貸してくれた者たちにお返しせねばならぬ」と、各人の体から光の玉が抜け出し空へと還っていく描写をしましたが、破沙羅草紙の世界と現世はある種の平行世界で一部が繋がっているんです。破沙羅のキャラクターの源となる義経や弾正が代々木に降臨したのと平行して、物語世界の中に大輔さんや染五郎さんの魂の一部が飛んでいき彼らに宿った。阿国はそのどちらの世界にも存在するのです。肉体は現世に、魂は破沙羅の世界に、と分かれ分かれになって。
阿国は長い時を生き、かつての恋人が転生するのを待ち続け、ただ共に舞う。阿国が破沙羅草紙の世界に来たのはひょっとしたら現世の現代に生きるその男の心の奥底にある「義経を手助けしてほしい」との意を汲んだのかもしれません。男には前世の記憶はなく阿国のことがわからないのだけど。
「脱出」のラストは阿国がいつもの陽気な口調で「ちょっとひどいじゃないか。あたしを置いていこうってのかい?」と義経の体に戻ってくるはずでした。ところが彼女、作者に断りもなく成仏しちゃったんですね。これは漫画「ヒカルの碁」の藤原佐為が神の一手を打った直後に昇天したことに通じます。義経の体を借りて会心の舞を舞った阿国は長い生を閉じ輪廻の理の中に戻ります。
「桜風」で男が「来世はいっしょの時を生きよう」と言ったのは、現世での阿国であった者の肉体の死に喚起されて記憶を取り戻したのでしょうか?ご想像におまかせします。さて、彼は誰なんでしょう?ふふふ。
物語を書いている間、ずっとBGMにしていたのが長唄の「鞍馬山」です。
長唄「鞍馬山」
義経が鞍馬山に稚児として預けられていた少年時代の話(歌詞の中では牛若丸となっているが、実際には遮那王と呼ばれていた頃)
人づてに自分が源氏の御曹司であると知らされた牛若丸は、平家打倒を心に誓い、夜な夜なひそかに剣術修行に励む。
剣術修行の相手になるのは、鞍馬山に棲む大天狗の僧正坊と、その手下の木の葉天狗。
闇夜に木太刀の音がこだまする。
牛若丸は空を切って打ちかかる小天狗の木太刀を払いのけて応戦する。目にもとまらぬ技と技。
勝負ついたかと思うところ、背後に現れたのは、大天狗。
打ち合う音が夜の森にこだまして、その迫力に、闇夜にひそむあやかしたちも舌を巻く。
気合のこもる牛若丸の太刀筋に、さすがの大天狗もじわじわと追い詰められる。
今宵はここまで、続きは明晩。
ひらりと身をかわした大天狗は、手下を引き連れ、闇のどこかへ飛び去った。
長唄を聴くと唄と三味線の調べから情景があざやかに目の前にたち現れるのです。
二次創作小説に書いた大天狗はここからヒントを得ました。
今回の二次創作にはいろいろな長唄のイメージを入れています。
以下、曲名を列記しますので、どの場面か想像してみてくださいね。
長唄
○鞍馬山
前述のとおり
○賤の苧環
以前のブログに記載→
○二人椀久
以前のブログに記載→
○阿国歌舞伎
華やかな歌舞伎おどり一行の登場に続き阿国に「小町と少将」の道行きを舞えとのご所望あり。そこで相手役の少将に「日本一の好い男」と、名古屋山三を選んだ阿国は道行を演じながら、気づけば山三に己の憂き身を吐露していく。
○蜘蛛拍子舞
源頼光に仇せんとする葛城山の女郎蜘蛛が美しい白拍子妻菊に化けて頼光に近づき、 色仕掛けでだまそうと拍子舞を踊る。
○京鹿子娘道成寺
以前のブログに記載→
○鵺退治
源頼政に帝を悩ます物の怪を退治する勅命が下る。頼政が邪気を払うために弓の弦を鳴らす鳴弦の法を行うと、凄まじい響きとともに現れたのは、頭は猿、躰は狸、尾は蛇、手足は虎に似た鵺であった。
○小鍛治
名高い刀鍛冶の三条小鍛冶宗近が帝より刀を打つように命じられる。しめ縄を張って刀を打つ準備を整えると、稲荷明神の化身が現れて相槌を打つ。完成した刀は子狐丸と呼ばれ、後世に伝わる名刀となった。
○(番外編として)吉野山
忠信狐の登場する歌舞伎舞踊は義太夫の「吉野山」ですが、こちらは幕切れ前の花道で六方での引っ込みを使わない場合に黒御簾の長唄を使うことがあるので、ちょっとだけ長唄に関連のあるものとして入れてしまいましょう。
ちなみに前作「大海原海上決戦の場」に入れた長唄は「勧進帳」と「賤の苧環」でした。
二次創作小説「桜鬼」の冒頭の義経の笛はこちらをイメージしました。
長唄囃子方の藤舎名生さんの創作「鞍馬山」の中の義経の笛の段です。
物語を書いている間は義経と逢瀬を重ねるようでとても幸せでした。昔から歴史上のヒーロー義経が大好きでした。わたしの持つ義経のイメージは凛として高潔、真面目で堅物だけど人たらし。自分で書いていて、義経が動くのがわくわくするんです。 とくに戦闘場面を書いていると脳裏に義経の華麗で舞うような太刀捌きが見えて、ぞくぞくします。文章に上手く起こせず自分以外の方には伝わらないのですが。
義経が闇の国の宴に単身潜入したのは瓊瓊杵と木花を奪われ、弁慶をも失った自分の不甲斐なさ、自分
に対する怒りから。そんな義経の懊悩を冒頭で書きましたが、そこには実際の義経が逃避行の末、佐藤継信忠信兄弟をはじめ多くの配下を失って失意の中にいたであろうことにも思いをはせています。義経は終焉の地である奥州でずっと自分を責め続けて、心から笑うことはあったのだろうか。そう思うと転生というものが本当にあるならば、今この現代で彼が平凡な幸せの中に生きていればいいのに、と心から思います。
わたしの考えた設定では、弁慶は阿国と同じく肉体を破沙羅の世界に召喚できなかったため、魂だけが猿田彦に宿った、としています。女神稲生の力で黄泉の国から呼び戻されたのは猿田彦だけ、弁慶は猿田彦の身替わりとして黄泉の国へと下ります。
破沙羅の世界で再び弁慶を失った義経ですが、きっとその後の生の中で幾度も弁慶と巡り会えたのではないでしょうか。
そして現代に転生した義経は前世を思い出すことなく、静と恋に落ち、いっしょに破沙羅の公演を観る。 そうであればどんなにか素敵でしょうね(注:昨年書いた物語の「邂逅」は弾正と岩長姫のお話です。)
物語を書き続ける限りは彼らと再会できることが嬉しい。
前作と違って登場するキャラクターはエコヒイキしてる人ばかりなんですけど。
「脱出」の弾正さま、手から緋色の糸を出す術を使いますが、これは松本幸四郎さん主演の「阿修羅城の瞳」で幸四郎さん演じる出門が使う「緋糸しばり」です。弾正さまでやってみたかったの。
ひとつお断りが。
物語の中で岩長姫が宴席での舞を見て「ほんの小手先の芸にしか見えぬ」などとぬかしておりますが、これは話の進行上必要なことで、実際の闇の国宴の場での郡舞はとても素晴らしいと思います!
今年もわたしの妄想にお付き合い下さった皆さま、ありがとうございました。
もうネタ切れでたぶん書けません。
え、なに?寝所の場書けって?
やなこった。
では、また来年の記念日にお会いできるかどうか定かではありませんが(ネタがもうない)いつも心に破沙羅を。
再演祈願と共にこれからもずっと語り継いでまいりましょう。
謝辞
今回も予想を覆す素晴らしい絵を書いて下さったももはむ君に心からの感謝を捧げます。
前作では完全にももはむ君に一任して自由に書いて頂いた結果、とても素晴らしい作品世界を創造して頂きました。
ところが今回は攻防がありまして。
まず、大天狗の絵を頂いたのですが、ものすごい美形に書いておられて、しかも天狗ですらない(笑)
「あのう、ももはむ君、天狗で、しかもじじいなの」
「承知しました」
そしたら今度は
「琵琶法師、美形に描いていいですか?」
「あかーーーーーん!!!💢」
美形好きなのは知ってるんだけど(汗)
そんなこんなでダメ出しすること数回(笑)
掲載直前になってデータがぶっ飛ぶなどのとてつもないアクシデントを乗り越え、またしても想像も限界も超える作品をありがとうございました。
※氷艶2017破沙羅2周年記念として三日間で公演数と同じ6つのブログを掲載します。
こちらは5つめとなります。
あとひとつ、夜には破沙羅の長唄の譜面を掲載します。
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いつもご訪問ありがとうございます、
初めての方はこちらを読んで頂けると分かりやすいです。→
こんばんは。
先日夕方のニュースを見ていたら 京都の河川敷で野犬が繁殖してるとの報道があり、
その報道の仕方に腹が立ちましてた。
普段から感じている、人間の勝手さへの怒りを批判覚悟で書いていきます。
京都の桂川河川敷で野犬が繁殖してるという現場を男性アナウンサーがレポート
川の側に大型犬を数匹確認。
人を噛むなどの被害は報告されていないが、
地域住民の不安が募っているという…
その中で野犬に餌をあげている人もいるらしい
桂川を管理する事務所や市医療衛生センターは連名で
注意喚起と餌を与えないように呼びかけている。
夜になった
暗闇に光る犬の目を怖がるアナウンサー
(はっ?)
この後「エサやり女性を直撃」とテロップ
アナウンサー引き続き河川敷付近にいる人にインタビュー
ある女性は野犬は怖くないし、人に好意的な様子だと話す。
女性のインタビューを終え、しばらくすると…
河川敷に人影、犬が集まってくる動きが。
餌をあげてる人物は
先程インタビューした女性でした。
早速、女性を直撃!
その様子がまるで鬼の首を取ったようだった。
すると女性が持論を展開とテロップ
女性の持論を異常発言かのごとくねじ伏せるアナウンサー
その後もその場を離れる女性をしつこく追跡していました。
現在まで、犬に噛まれるなどの危害は報告されていない、
また動物愛護センターの施設は現在収容する空きがない状態と締めくくられた。
私の感じた怒りポイント
その①
皆の不安を煽るような報道の仕方
襲ってもこない犬達のことを、やたらと怖いという
ワードを投げかけ、不安を煽っていた。
一部の「ちょっと怖いね」という発言をしていた人物だけを取り上げたり、
暗闇に光る犬の目を「怖い」と言ったり。
(大の大人の男が情けないですね)
完全に印象操作で
イヤラシく感じました。
その②
エサやり女性への集中攻撃
餌をあげるな!とだけ叫ぶだけで、
どうして餌をあげてはいけないかの明確な理由がありませんでした。
市から
説明されている餌をあげてはいけない理由は以下の通りです
①繁殖の要因になるから
ドックフードは栄養価が高く繁殖力も上がる
②捕獲しにくくなる
お腹が満たされていると捕獲用ケージに入りにくく保護しに
くい為。
でも、私、これらの理由にも納得できません。
だって、餌をあげなかったら、どうなるでしょう。
犬は野生動物ではありません、猿に餌を与えるなというのと
訳が違うと思います。
飢えて死ぬのがオチだと思います、
上記の餌やり女性が述べていたことは一理あり、
飢えたら、人を襲ったり、ゴミや、畑を荒らす可能性もあります。
保護しにくくなるという理由がありましたが、
現在、施設に空きが無い状態なので、
保護する予定もたっていません。
そして動物愛護センターとは一定期間保護したのち、
期間を過ぎたら動物たちを処分する施設なので、
保護されたからといって、命の保証があるところではありません。
餌をあげてはいけない理由が明確じゃないのは、
市も解決の策が無い&行使する予定がないからでしょう。
お茶を濁した状態。
これ以上、繁殖させない→死んでもらうしかないということを遠回しに言ってるだけです。
私は餌をあげる人を批判出来ないと思うんです、
フォローが不十分ではあるけど、
犬が飢えないように、とワンアクション起こしている人達です。
それを、何もやらない人が批判しちゃいけない!
「汚い」「クサい」「怖い」
批判するのは簡単ですよ。
いくつものアクションを起こして初めて批判できます。
でもそういう人はきっと餌やりする人を批判しません、
批判ではなく、呼びかけて協力していくと思います。
その③
報道のあり方
不安を煽ったり、餌やり女性を批判しても、
根本的解決には至りません。
本当に批判すべきは捨てた飼い主でしょう?
犬達には餌やりするだけじゃなく、
糞を片付けたり、これ以上繁殖しないように、避妊・去勢手術したり、
沢山のお世話が必要です、
これだけの大事を1人でやるのは困難です。
みんなの協力が要ります、
だから、マスコミは例えばボランティアを募集したり、
寄付金を呼びかけたりしてはいかがでしょうか。
それが、本来の報道のあり方でしょう。
犬が居なくなって良かったーと思う人
死んじゃったのかな?
でも、仕方ないよねー
と
思う人
何もしない、心も痛まない、
自分だけよければ良いと思う人に豊かな心は芽吹かない。
野良猫が糞をするって毒をまいたり、ハクビシンを害獣と呼んだり、
彼らは人間を襲ったりしないし、ヒッソリ生きているのに。
この地球は人間だけのものなんですか!?
様々な生き物がいて、木がキレイな空気を作り、虫が作物の実りを助け、鳥が遠くまで種を運ぶ、
こうして、私達は豊かに暮らせている、
様々な恩恵を受けながら、
ここは私の土地よ!と勝手に決め、他の生き物の侵入を許さず、奪うだけ奪う人間って、
どんだけ傲慢なんだろう。
海外と野犬(タイとイタリア)
私は親の関係でタイをよく訪れていました。
イタリアは旅行一回と、
20歳の時に1ヶ月ほど滞在しました。
二つの国で見て感じたことを書きます。
タイは野犬がとても多い、
殺生をしないという仏教の教えが息づき、国民も殺処分を認めない、
前国王が動物愛護の意識が高かったのも影響している。
街を歩けば、犬がそこらじゅうで寝そべっていて、
観光客や、レストラン、地域住民からご飯をもらっている。
私達がよく泊まったホテルにも、野犬がいて、
毎日一緒に遊んだ。
姉と私
ブンブンという子犬 懐っこく、すごく可愛かった。
タイで何が楽しく記憶に残ってるかと言ったら、犬達と触れあったことだった。
島に行った時も犬は沢山いて一緒に遊んだ、
写真に写ってる泳いでる犬はレストランで飼われてた「ラッキー」
野犬じゃないけど、
いつも自由に散歩していて、
私達に懐き、ホテルの部屋の前まで付いてきたりした。
ホテルに侵入してもホテルの従業員は何も言わなかったし、
「ラッキー」なんて
犬の名前を呼んでいた。
イタリアもタイに通じるものがあった。
流石に野犬の数はタイよりも少ないけれど、
犬達がひとりで散歩したり、
とても自由気ままな雰囲気だった。
滞在先のルッカで 店の前に佇む看板犬(リードなし)
ナポリのポンペイ遺跡を見に行った時、
敷地内で、「え?それ遺跡ですよね?」という場所に
犬が寝そべっていたりして
遺跡よりも、それが一番面白かった。
日本だったら、敷地内に入ることがまず出来ない。
ポンペイの犬達は保護団体による活動で、ID化し
一匹ずつナンバー、電話番号が書かれた首輪をつけ、ケアされ
守られているようです。
イタリアのイケアは寒さに震える野犬を
店舗に受け入れたそうです。
我が家のように寛ぐ犬たちはIKEAの家具を魅力的にみせ、店舗の過ごしやすい雰囲気は犬たちの魅力をさらに引き上げたようです。
顧客の中には家具だけでなく、犬を家に連れて帰ることもあるそうです。
元記事
二つの国を賞賛しているのではありません、
野犬が増える原因は人間が捨てるから、
どこの国にも身勝手な人がいるのです。
二つの国は狂犬病もあり、問題や課題も沢山あります。
苦情だってあるでしょう、
でも日本のように、すぐに殺処分しません。
日本は今、空前のペットブーム、一方では可愛い、可愛いとやたらもてはやすけど、
捨てられる犬、猫の数は減っていない、
それなのに、日本には野犬がいないのは、殺処分されているから。
大事にされるか、殺処分されるか、日本にいる犬達は両極な状態にあり、
全ての運命が人間の手に内に握られている。
飼い主の身勝手ではじき出された犬が
身を置く場所が日本には無い。
太古の昔から犬と猫は人間の側にいて、一緒に暮らしてきた。
こんなに人間を慕ってくれる生き物は他にいない、
そんな健気な命を軽く扱ってはいけない。
犬、猫に 、ICチップ挿入を義務化し
悪いブリーダーや飼い主を罰したり、二度と飼育が出来ないように
日本もすべきだ。
次回の更新は5/22(水)です