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我が国家の存亡をかけた内憂外患の克服

平成30年6月22日(金)

この度、「伝統と革新」誌から、
内憂外患と危機克服の方策、に関する所感を求められたので、
次にその一文を記し、ご高覧を頂きたいと思う。
内憂とは、
現下の国会を観れば分かる。
この我が国の国会の惨状を喜ぶ外国があるとするならば、
この惨状の元凶は、喜ぶ外国の傀儡である。
組織の内部に潜入して組織を崩壊させるというコミンテルンの戦略は、
我が国内で効を奏している。

・・・     ・・・     ・・・     ・・・

現在、我が国を取り巻く内外の情況は、まことに厳しく、
この情況を克服し、
「天下を富岳の安きに置かん」(明治元年、国威宣布の宸翰)ことは、
現在の急務である。しかし、これは命を懸けた難事業であり、
これを実行するために、我々は、明治維新に学ばねばならないのだ。
しかるに、
明治維新百五十年を閲する本年に至っても、この問題意識は、極めて微弱である。
従って、本稿を明治維新を見つめることから始める。
 
現在、明治維新の官軍となって時流に乗ったお陰で、
「維新の元勲」を輩出した薩長土肥、
つまり、薩摩、長州、土佐そして肥前では、記念行事を行っている県があると聞く。
しかし、百五十年後になっても、官軍と賊軍に分けて明治維新を見ているとは何事ぞ。
官軍の県は記念行事を行えるが、
賊軍の会津は百五十年を経ても賊軍であり続けて
明治維新の記念行事ができないのが当然なのか。
 
明治維新の目的は、国家一丸となって国難を克服することであった。
そして、その目的通り、戊辰の役の敵味方が一丸となって、
我が国は国難を克服した。
だから、今こそ、明治維新に学ばねばならないのだ。
その学ぶ時に、
北朝鮮の壇上に立つ高級軍人のように、
勲章を沢山ぶら下げた元勲の功績を祝うだけではなく、
勲章などない真に国を憂いた人士を通じて学ばねば、
現在の国難を克服するための教訓を得ることはできないと私は思う。

まず、勝てば官軍の言葉通りの、明治新政府の情況を見るべきだ。
旧薩摩藩士で初代文部卿となった森有礼の兄の横山安武は、
明治三年七月二十六日、太政官への十箇条の建白書を掲げ、
官吏の堕落を痛罵して、津藩邸前で切腹した。
この横山の切腹による新政府への諫言は、
鹿児島に帰っていた西郷隆盛に大きな衝撃を与えた。
そして、同年十月中旬、
弟の従道が鹿児島に帰郷して兄の西郷隆盛に会い、東京の情況を説明し、
成り上がりの功臣が、天下を我が物顔にのし歩き私利私欲に終始している有様を伝えた。まことに、維新直後の新政府は、
二流三流の官軍の士が、突然転がりこんできた権勢におぼれて、
驕慢奢侈の風が蔓延し、廟堂には党派が生まれ情実に支配される事態に陥っていた。
西郷隆盛は、
この情況を弟の従道から聞き、涙を流して嘆き、次のように言った。

「おいどんは、『こんな世の中』にするつもりで、幕府を倒したのではない。
これでは、途中で死んだ同志諸君に全く申しわけがない。」
 
また西郷は、同時期に、遙々鹿児島まで会いに来た東北の旧庄内藩士達にも言った。
彼らがその情況を次のように書いている(西郷南洲遺訓)。

「・・・然るに草創の始めに立ちながら、
家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、
維新の功業は遂げられ間敷也。
今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、
天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、しきりに涙を催されける。」
 
では、西郷は、「こんな世」ではなく、「どんな世」を求めたのであろうか。
それは、私利私欲ではなく、
お国の為に己を捨てて国難に立ち向かいそれを克服する世、であろう。
私は、ここで西郷を論じることはできないが、
維新の元勲どもの名が全て忘れられても、
日本が日本である限り、西郷の名は忘れられることはないと言い切れる。
その上で、この西郷隆盛について、江藤 淳氏が、
明治十年九月二十四日、銃声が途絶えた城山の検屍場で、
部下から受け取った西郷の首を眺めた山県有朋の情景を記した次の一文を記しておく。

このとき実は山形は、
自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。
陽明学でもない、「敬天愛人」ですらない、国粋主義でも、拝外思想でもない、
それらすべてを超えながら、
日本人の真情を深く揺り動かして止まない「西郷南洲」という思想。
マルクス主義もアナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポストモダニズムも、
日本人はかつて「西郷南洲」以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった。

この江藤氏の最後の
「日本人はかつて西郷南洲以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった」
という一文に、私は、もう一人、
建武の昔、湊川で七生報国を誓って自決した
西郷が敬仰して止まない楠正成を加える。
幕末の志士たちは、皆、
楠正成を思い、お国の為に天皇のために死んでも、死なないと確信した。
同様に、日清日露の両戦役から大東亜戦争まで、
実に多くの将兵が楠正成を思って死地に赴いていった。
そして、これからも、
我が国の危機に際して、西郷隆盛と楠正成は甦り、
日本人を、国の為に、天皇のために、死しても、死なない日本人にするであろう。
 
この西郷南洲と楠正成、この「思想」と「生き様」、
これが明治維新が、これからの日本が危機に立ち向かいそれを克服する為に、
我々に残したものである。
これが、我が国における国難克服の前提であることを記しておく。
さらに、もう一点、
我が国の現下の風潮は、明治維新百五十年を謳いながら、
明治維新が何を目的として成ったのか、
さらに、その目的を達することができたのかを、
具体的に見つめるのを、ことさら避けているようなので、指摘しておく。
明治維新の目的を、具体的に見つめなければ教訓は得られないではないからである。
明治維新とは、「四方の海」から我が国に迫りつつあった
列強の軍事力による圧迫の中で、
国家の独立自尊を守るために、つまり生き残る(サバイバル)ために
「幕藩体制」から脱却して近代国民国家を創造する変革であった。
従って、その目的は達せられたのか。何処で達せられたのか、を問わねばならない。
 
明治維新の目的は、江戸時代に生まれ、
戊辰の役では敵味方に分かれた日本人の総力によって達せられたのだ。
それは、陸では満州の奉天の大地

海では日本海の対馬沖で達せられた。
即ち、明治維新から三十八年後の明治三十八年三月十日、
満州の奉天において帝国陸軍は数に勝る三十数万のロシア軍を打倒して勝利し、
同年五月二十七日、日本海対馬沖において、
帝国海軍の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を撃滅して勝利した。
この陸と海の両戦闘は、
文字通り「皇国の興廃」を懸けたものであり、
我が国は、これに打ち勝って、
ここに、明治維新の目的である国家の存続を果たしたのである。
従って、明治維新百五十年を記念しながら、
その目的達成である三月十日の「陸軍記念日」と
五月二十七日の「海軍記念日」を見て見ぬ振りをして過ごした
現在の我が国政治のだらしなさを思う。
これこそ、現在の我が国の「内憂」を象徴するものだ。
 
そこでこれから、
現在の我が国の内憂外患と、如何にしてそれを克服すべきかに、論を進める。
今まで、明治維新に多くの字数を当ててきたが、
その訳は、現在の我が国を取り巻く情況は、
明治維新期とその目的を達成する明治三十八年までの情況に
回帰してきたかの如くであるからだ。
渡部昇一先生が、確かバルカン半島を例に挙げて、
歴史上、一定の地域には同じことが繰り返し起こる、と指摘されたが、
バルカン半島だけではなく、朝鮮半島こそ、歴史上、同じことを繰り返している。
従って、百五十年は一つの円環であるかのように、
現在、維新前と同じ情況に戻ってきている。
 
昨年の韓国の朴槿恵大統領弾劾運動と文在寅大統領の誕生を起点として、
本年四月二十七日の板門店における朝鮮半島の南北首脳会談、
それを切っ掛けにして急に決定して実施された
六月十二日のシンガポールにおける米朝首脳会談の流れの中に見えてきたのは、
南北朝鮮が仲良く中共の傘下に入っていっていることと
朝鮮半島からのアメリカの後退である。
朝鮮半島の南北が仲良くなれば、アメリカの半島からの後退は必至である。
この朝鮮半島の姿は、明治の日清、日露両戦役前夜の情況の再現であろう。
もちろんこれに止まらず、
この朝鮮半島の背後にある北のロシアと南の中共は、
共に北と南から我が国周辺の西太平洋に進出してきている。
ロシアは、我が国の領土である北海道と指呼の間にある国後島と択捉島に
ミサイル基地を建設した。
そして、中共も南から我が国の尖閣諸島を露骨に奪いに来ているし、
南シナ海の南沙諸島に三千キロメートルの滑走路を三つ建設して空軍基地そしてミサイル基地と軍港を建設した。
そして、南シナ海を「中共の海」だと主張している。
これは、輸入するエネルギーと食料の九十九%以上を海上輸送に依存する我が国の生命線であるシーレーンを扼することである。
同時に、中共は毎年軍事パレードをして中距離核弾頭ミサイルを見せつけている。
これらの中共の軍事行動と示威行動を見るに付けて思い至るのは、
日清戦争前、清国が、当時の世界最大級の戦艦である定遠と鎮遠を主力とする北洋艦隊を、我が国の港に入れて、その偉容を見せつけて我が国を脅迫したことである。
なお、この中露は、無関係ではなく、
対日連携のもとに動いていることを知らねばならない。
これ、日露戦争前の露清密約・対日攻守同盟と同じだ。
そして、この露清密約は、
清国の李鴻章によるロシアへの秘密裏の満州売却であった。
昭和の独ソ不可侵条約だけが、複雑怪奇ではない。
もともと、支那とロシアのやることは複雑怪奇なのだ。

我が航空自衛隊の我が領空に接近する外国軍機に対するスクランブル発進回数は、
平成二十八年度が過去最高の1168回を記録した。
その国別は、対ロシア機が301回で対中共機が851回だ。
これは、三十五年前の冷戦期の最高頻度である年間944回を遙かに上回った。
我が国の領空には、平均毎日3回、
中露の軍用機が申し合わせたように北と南から接近してきているのだ。
さらに、中露の海軍は、一昨年、南シナ海で合同軍事演習をしている。
その時、ロシア軍艦がまず宮古島の我が領海に侵入し、次に中共軍艦が続いて侵入した。
 
また、トランプ大統領が言うチビのロケットマン即ち北朝鮮の金正恩労働党委員長は、
昨年には盛んにミサイルを我が国上空に飛ばしている。
そして、その弾頭に核爆弾を搭載できると我が国を恫喝している。
以上が外患である。
この情況を、仮に幕末の志士たちが目の当たりに知れば、
彼らは、奮い立って抑止力としての核保有と、
金正恩の「斬首作戦」の実施計画を立てるであろう。
しかし、現在の日本人の中には、そういう反応は全くない。
この無反応、これこそが、内憂そのものなのだ。
明治維新もまず内憂を克服し、
次に国家一丸となって外患克服に向かったのだから、
よって、これから、
我々は、まず「内憂の正体」に迫りその本質を確認しなければならない。

我が国の「内憂」の正体は、「日本国憲法」である。
では、「日本国憲法」とは何か。
それは、昭和二十一年十一月三日に公布され、
翌二十二年五月三日に施行された文書である。
この文書を書いた者は、日本人ではなく、そ
の時、日本を占領統治していた連合軍総司令部(GHQ)民政局のチャールズ・L・ケーディス 大佐をリーダーとする二十五人のメンバーである。
書いたのは、昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間である。
この書いた期間と公布したときと施行したとき、これら全ての時に、
日本国には主権がなかったことを公的に確認したのは、安倍内閣だ。
そして、これが安倍内閣の最大の功績であろう。
この功績は、国家の危機、緊急時に顕在化するであろう。
何故なら、緊急時に、我が国が、
「日本国憲法」の束縛から解放される道が開かれたからだ。
即ち、平成二十五年四月二十八日、
安倍内閣は、憲政記念館において、
政府主催で、天皇皇后両陛下のご臨席を頂き、「主権回復を祝う式典」を開いた。
主権回復を祝うということは、
回復される前は主権が無いということだ。
安倍内閣は、昭和二十年九月二日の、
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合国軍総司令官の制限下に置かれる」
という降伏文書調印から、
サンフランシスコ講和条約が発効する昭和二十七年四月二十八日まで、
我が国には主権が無かったことを公的に表明したのである。
 
つまり、連合軍総司令部(GHQ)の二十五人が、我が国に主権の無いときに、
我が国の憲法を書き、公布し、そして、施行した、ということだ。
これ、法論理的に、
「日本
国憲法」と題する文書は、日本国の憲法として無効であるということだ。
しかもこのことは、万国共通の法論理である。
ということは、例えばハーバード大学、
またオックスフォードやケンブリッジ大学の法学部で、
「日本国憲法」と題する文書が書かれた経緯を示した上で、
これが、日本国の「憲法」かどうかの回答を求める試験問題が出された場合、
無効という回答が正解で、
有効という回答は落第ということだ。
また、この論理は、
国際秩序を維持するために貫かねばならない大切な法論理なのだ。
何故なら、ある独裁国家が、
隣国に突然軍事侵攻して占領し軍政を敷いて支配した上で、
隣国の「憲法」を制定した場合、
これを無効とすることが国際社会の「秩序」と「正義」を守ることだからである。
従って、我が国が、「日本国憲法」の有効論を維持することは、
独裁国家の暴虐な他国侵略を容認することになることを知らねばならない。
 
さらに、九条を書いたケーディスは、産経新聞の古森義久記者に、
何の為に書いたのかと尋ねられて、
「日本を永久に武装解除されたままにしておくためです」とあっさり答えている。
このケーディスの回答を知って、
彼に九条を書かせた最高司令官D・マッカーサーの意図が鮮明になった。
それは、フィリピンにおける緒戦で日本軍に粉砕され、
十万近い部下将兵を残して自分だけが戦線から逃亡した軍人として最低の男、
マッカーサーの日本に対する「復讐」だということだ。
「日本国憲法」は、
マッカーサーの日本に対する「復讐の文書」なのだ。
この「復讐」に気付いたのは、
ビルマ戦線でイギリス軍の捕虜となって約二年間捕虜収容所にいた会田雄次氏の
「アーロン収容所」を再読した時だ。
そこに会田氏は書いている。
「イギリス軍の処置のなかには、復讐という意味がかならずふくまれていた」と。
マッカーサーは、
イギリスの貴族の末裔で首相のチャーチルと遠縁にあたる男だ。

ここにおいて、明確ではないか。
この「マッカーサーの復讐」に我が国家が縛られていることが
「内憂の正体」であり、「戦後体制」の中身だ。
従って、我らは、
明治維新が「幕藩体制」から脱却したように、
「マッカーサーの復讐」=「日本国憲法」=「戦後体制」
から脱却しなければならない。
簡単かつ明快ではないか。
そして、「戦後体制」からの脱却は、
緊急時に、国家と民族の為に、
「戦後体制」の中にいる総理大臣がする。
「幕藩体制」の中にいた十五代将軍徳川慶喜が「大政奉還」をしたように、
危機克服に向かう総理大臣が、
もはや「日本国憲法」には縛られない、
陸海空自衛隊は、我が国家を守る国民の軍隊即ち国軍である、と宣言し、
国際法と国際慣例に基づいて国民と国家の総力を挙げて外患に立ち向かう。
これが、コルディアスの結び目を斬る、ということだ。
これが、我が国存続の為に
戦後体制から脱却する為の「最後の一手」であることを自覚しておいて欲しい。
 
最後に、「日本国憲法」の無効確認は、
法的連続性を切断し、我が国は、国家を統治し運用する原則を失って漂流し、
無秩序な不安定状態に陥るとする懸念を懐く方があると思うので言っておきたい。
外患の押し寄せる危機において、
「日本国憲法」を守って内憂の惰性の中に閉じ籠もることこそ、
国家の崩壊と滅亡、そして国民の生活基盤の喪失という亡国の悲劇に至る道である。
この亡国の惨状を選ぶことができないとするならば、
最後の一手は、今述べた一つの道しかない。
しかもこの道は、法的な空白では無く、
「日本国憲法無効」、即、「大日本帝国憲法への回帰」であり、
光輝ある明治と現在の連続性を確認することである。
もちろん、
昭和二十年の敗戦以来、七十年以上、学校で教えてきた「日本国憲法」を捨てるのであるから、「断絶感」も「混乱」もあるだろう。
しかし、これは「戦後体制」から脱却して本来の日本を取り戻すという、
民族にとって明るいことであるから、
「日本国憲法」だけが残って国家が崩壊して日本が永久に無くなるという
祖国を失う取り返しのつかない悲劇と「喪失感」に比べれば、
どちらを選ぶべきか明らかではないか。
即ち、
「日本国憲法」を捨てて「日本という祖国」を確保するか、
「日本という祖国」を捨てて「日本国憲法」を残すのか、
である。
我が国を取り巻く外患は、
明治維新期と同様に、極めて厳しく、
現在の我らに、この選択を迫っていることを自覚されたい。


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