自衛 やりましょう!そして変えましょう!

自衛 やりましょう!そして変えましょう!

自衛の最新情報を発信、最新トレンドや注目アイテムをご紹介

アフリカ西部ブルキナファソにおいて、

フランス軍特殊部隊が

フランス2人を含む

人質救出作戦を決行し、

人質4人を解放しましたが、同作戦中に

特殊部隊員2人が戦死しました。

2名の特殊部隊員の遺体は

ルイ14世の時代に建てられ、

ナポレオンも眠る歴史的建造物に

多くの隊員や兵士が整列し見守る中

厳粛に運ばれ、

大統領も参列した式典で、

国家勲章が授与されました。

翻って日本、

知人の自衛隊員の中には、

PKOで何度も

海外派遣された人もいます。

彼との酒席で

「外地で戦死した場合、

『オレらは靖国に行けるのか?』

とよく隊員同士で話している」

と言っていたことを思い出しました。

「靖国」というだけで

右翼だなんだと

拒否感を示す人も居ますが、

日本の為に戦い、

そして亡くなった英霊たちを

祀る場所です。

そして本来であれば、

日本の国益になると信じて

海外で危険な任務に就いている

PKO要員に関しても

同様であるべきです。

しかし、日本のPKOの現実は、

隊員たちの覚悟に

応えるものではありません。

段階的に改善はされていますが、

戦場に軽装備で送り込まれ、

撃たれるまで射撃も出来ず、

そんな時代も長くありました。

日本の国益に適うと

政治が判断したからこそ、

自衛隊員の若者たちを

危険地域に派遣しているのに、

万が一彼らが戦闘で命を落とした時に、

政治家たちが胸を張って

英雄として戦死したと

彼らを迎えられない状況では、

国家としてあまりにも未熟だと、

フランスのニュースに触れ、

改めて感じました。

~~~~~~~~~~~~~~~

ポストお問合せはこちらからポスト

くう ねる あそぶ 自衛

みなさん、こんにちは!

昨日は朝の飛行機で地元に帰ることができました。

空港からまっすぐまずは令和元年度春季消防演習へ。

蝦名釧路市町も火災のみならず自然災害が相次いでおり、防災減災への取り組みが重要だというお話をされておりました。

私からは、先月その蝦名市長はじめ釧路・根室管内の首長のみなさんをお連れして菅長官のもとに、「千島海溝沖地震による津波の想定高の公表」を要請させていただいたこと、

そして南海トラフや首都直下地震と比べても対策が遅れている事実を共有し、結果として

この夏の被害想定の公表にむけ、着々と進んでいることをご報告させていただきました。

消防職員そして団員の皆さんは、災害時に地域住民の生命や財産を守ることを期待され、そして日々ご活躍、ご尽力いただいております。

そんな職員や団員の皆さんの安心安全を守ることは、政治の責任です。

少しでも安全であるよう、防災減災はもとより、装備や施設の更新などにもしっかりと力を注いでまいります。

そして、そのあとは釧路町の桜まつりへ!

そうなんです、「日本一遅い 桜まつり」として開催されており、この日はお天気にも恵まれ大勢の皆さんで賑わっておりました。

会場では元気な子どもたちによる、ダンスパフォーマンスが!

この中に実は私の可愛い可愛い姪っ子が出ており、大声援を送っておりした♡

私の声に気づいて、ステージから恥ずかしそうに笑顔で応えてくれた姪っ子でした。

周りの皆さんが、「あれ?たかちゃんじゃない?」とザワザワ。()

大きな声、よく通る声は、こんな時にも大活躍でした!

そして、桜の苗木を配っていました。

私もあとから並んで、苗木もらえばよかったぁ~とちょっと後悔。

来年は並びたいと思います!

釧路町の次は、厚岸へ!「かき・桜まつり」が開かれており、こちらも大盛況。

私は間に合わなかったのですが、陸上自衛隊第五音楽隊の皆さんによる演奏もあり賑やかで華やかな時間となったようです。

そのあと自衛隊の家族会の皆さんのおかげで、おいしく牡蠣もいただきました。

本当にありがとうございました!

それから、阿寒湖温泉に向かい、高台にある稲荷神社の例大祭に。

地域、そして自然を見守ってくださっていることに、地域の皆さんと一緒に感謝とともに参拝させていただきました。

そのあとは、皆さんと一緒に「直会」。

ひめます、ふなの御造りなど、阿寒湖の自然の恵みを存分に味わうことができました!

地域の小学校、中学校の先生方も参加して下さっており、日頃からの地域との連携が見え和やかな時間となりました。

それから、阿寒湖温泉の鶴雅さんに移動。

ここでは、鈴木宗男の大誉地中学校の同期会が開かれており、私もご挨拶に。

「おい、むねお~!」「たかちゃ~ん!」と、親戚の集まりのような時間となりました。

父が恩師と慕ってやまない藤原先生もご参加でした。この先生の課題だった作文で、

父は中学校一年生の時に「将来、政治家になる」と書いたそうです。

そして、先生からは今でも「夢をかなえた宗男はえらい」と褒めて頂いています。

面白かったのは、「俺たちが初めて生徒会を立ち上げた」という話でした。

それまではいわゆる生徒会がなかったようなのですが、父が友達に「自治会を立ち上げよう。俺が議長をやるから、お前は書記長だ」と音頭をとり見事選ばれたそうです。

当時から選挙、何よりも根回しが上手だったようです。()

そして、話によると当時は「開襟シャツがダメ、男は坊主だったのを、開襟シャツを認めさせ、男子の長髪(といっても、短髪でしょうが)もOKになったんだよ」と教えてくれました。

今の父(の頭)をみると、髪型に関する校則を変えたというのが、なんとも面白い・・・・というのはさておき、昔からやはり反骨?の精神が垣間見れるエピソードも聞けて楽しい時間でした。

同級生の皆さんが、「むねおが頑張っているのを見ると、俺たちも嬉しい」と口にされていて、父も本当にうれしそうでした。鈴木宗男のハングリー精神、原点を見たように思います。

足寄町の中でも、そのまた山の中の、大誉地に生まれたからこそ「生活を変えるには政治が必要だ」と思ったのだと思います。「なんで、親は朝から晩まで働いているのに、この地域には電気がないんだ?」と思ったと言っていました。

やはり、「原点」というのは何年たっても、奮い立たせる力があるのだと思います。

その原点、原動力への想いの強さが、大事なのかもしれません。

改めて人間関係の尊さや、政治家としての大切なものを、教えてもらった一日となりました。


自衛 関連ツイート

@yamazakimakoto くじ引きで現役自衛官を5名以上、政府に登用する方が手っ取り早いんじゃないでしょうか
RT @whatsdemocracy: 今は、自衛隊を辞める時に、予備自衛官や即応予備自衛官になるか、何の関わりも持たないかを選びます。でも、集団的自衛権の行使で、自衛官のなり手が少なくなっていった場合、予備自衛官にならなかった人も有事の場合は召集されるのではないかと考えていま…

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする