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やはりすでに別な所に出ておりましたが、
読みやすくしておきました。
結構長いので大変ですが、
頑張って読んでいただきたいです。
私が独断で???感じたポイントです。
太黒 、赤、青。
・・・・・・・
日 時:2018年9月2日(日)10:30~
場 所:○×教会
説教者:S教区長
説 教: 「 真の母の願い(中心摂理) 」
御 言:天聖経 第九編 家庭教会と氏族メシヤ 第二章 氏族メシヤ 第二節 氏族メシヤの責任
内 容:
この度、祝福を受けられた方やそのご家族の方、心からおめでとうございます。本来の天の願いは、祝福の子女をもっと捧げなければならなかったので、申し訳ない思いである。
今日は、真の父母ではなく「真の母の願い」でお話をしてみたい。先程のU-oneニュースにもあったように、祝勝会で突然お母様が3日修練会を指示された。8月28日の午前の事だが、翌日には帰る予定をしていた。「今後予定されている全てのスケジュールをキャンセルし、上も下もなく全てをおろして三日間の修練会に参加せよ」と言われた。初め、教区長たちは自分達も対象だとは思わず、地区長以上が行けば良いと思って安心していた。しかし、その午後には教区長も対象だと囁かれ始め、えーとなった。既に帰った教区長もいたので、それを誰が言っているのかとなったが、お母様の指示だった。ある教区長は関空に着いた際にメールを確認すると、戻って来いとあった。清平に来ていなかった教区長もいたが、有無を言わさず来るようにとなり、夜中の2時の便で向かったと言う教区長もいた。そしてお母様は「私と完全に一つとなりなさい」と言われた。
8月28日の午後6時の役事から出発し、8月30日午前中まで修練会を行った。何をやったかが問題だが、一つは役事で3回あった。2番目が情心苑祈祷会。3つ目が大母様の特別祈祷室での祈祷だった。四つ目が愛の木、心情の木、万物の木、忠誠の木、祝福の木までの聖地祈祷。五つ目が本郷苑の参拝。六つ目がお母様の御言と指示だった。本来、修練会と言う訳だから3つ位の講座を準備していたらしいが、それは一切だめで、只ひたすら自分を空にする時間だった。事実上8月28日の祝勝会の時点で、全教区長も会長も地区長も皆上も下もない状態の中で、日本も韓国アフリカもない立場で3日間の修練会を受けて帰ってきた。
ここでお母様の願いがどうであるのか、そして私達はどう行かなければならないのかという事が明確になった。聖和6周年の行事は大成功に終わり、良かった。お母様も「希望がある。夢がある。その夢も実現できる、それだったらいいよ」と祝勝会で最初一言おっしゃったので、これで終わるのかなと思ったら、そうではなかった。今は新しい摂理歴史で、全世界の食口が神氏族メシヤの使命を果たそうとして歩んでいる。南米のイグアスの滝は、数百の川が集まって作っている。お母様は「今の人類76億の主流が一つになるには、どうすれば良いかを皆が深刻に考えないといけない。一つの心、一つの願い、一つの行動というけれど、心で願っても体が言う事を聞かない。どうすれば心と体が統一出来るのか」と言われた。「全てを下ろせ。何の仕事をしているとか、このように自分はしてきたとか、こういう知識を持っているとか、全てを下ろして空になれ。そしてどうすれば心と体が統一されるのかを努力していかないといけない」と言われた。
父母様の考えというのは、あくまでも全体の為の考え。だからそこに自分の考えがあってはならない。私達は意外と自分の考えを持っている。しかし自分の考えだとは思っていない。色々な話をした際、皆が講義を聞いて頷いていて「なるほど」と言うので、こちらも分かっているのだなと思うが、その人の頭の中には別の人の姿が写っていて「あの人がやはりそうだったのか」とか、自分は横に置いておいて「この御言を聞くと、教会はなってないな」と思っていたりする。頭の中を全部映像に映しながら講義しないと、本当にわかったかどうかがわからない。「自分」を横においているので、大丈夫だと思っている。その「自己中心的な事を全部下ろし、天がしようとする事に全ての心で投入せよ、私と一つになれ」と、修練会前にお母様は強調された。
最後にお母様がおっしゃった事は恐ろしい内容だが、「私は最後です。聖書の中にも、聖霊に逆らうものは許しを受ける事が出来ない。主、神様に逆らったとして許される事があっても、聖霊に逆らった際には許しがない。だから、私と一つとならなければ希望がない。私と一つとなって、純粋純潔な人となって下さい」と言われた。皆さん、この話をどう受け止めるのか。「あれは、教区長と幹部に言われた言葉なんだな」と言えば、たぶんこの礼拝の恩恵はないと思う。あくまで私達を代表して責任者が行ったという立場で聞く事が肝要。人の事を考えずに、ただただ自分の内容を見つめて3日間を過ごした。
今回、非常に気になった事がある。それは祝福の祝祷で、いつもはお父様の祝祷を流されるが今回はお母様ご自身の意外と長い祈祷で、最初に「天の父母様、限りなき恩赦に本当に感謝します」と言われた。その次に天譜苑の奉献式の祈祷でも「天の父母様、限りなき恩赦に心から感謝します」と言われた。恩赦と言う言葉が出てきた。そしてこの度の世界指導者修練会で、「これまでお母様と心を合わせる事が出来なかった事をどれだけ悔い改められるのか」という事を強調された。すなわち、この修練会はある面では恩赦でもある。もう一度許して下さいと言う場ではなかったかと思う次第である。
堕落人間は真の父母を通して純正復活せずしては神様の下には行く事が出来ない。1960年の聖婚式から58年が過ぎた。聖和祝祭の際に祝福行事を行うのは、父母様が全人類を祝福で生み変え新しい生命として誕生させた事だという事を、全人類が満天下において分からないといけない。真の父母と同時代圏に生きた76億の人類が真の父母を知らない、祝福も聞いた事もない、父母様に会って祝福を受ければ天の子女になれる立場に行けるのに何故知らなかったのか、何故同参出来なかったのか。そのような恨を持って霊
界に行くとするならば、私達は責任を果たしたとは言えない。
真の父母様は、何の為に来られたのか。原理講論の堕落論第四節で、堕落の結果どうなったのか。血統と主権が変わった。この2つの問題を解決する事が出来るのは、クリスチャンの使命が成就しなければならない。その為には真の父母が顕現出来なければ、それは成就出来ない。「私が氏族メシヤの責任を果たしなさいと言って火をつけたが、皆さんはどれほど深刻に受け止め、実践できたのか。歴史の真実、摂理の真実を明らかにすると言ったが、皆さんは違う答えを出した」。これはどういう意味かというと、お母様の御言の中に必ず出てくるのは一人娘。独仙女が歴史の真実で、これをキリスト教が迎える為にあった。それをお母様が何度も講演の中で真実を明らかにしている。けれども、それを受け止めた私達は違う答えを出している。お母様はそれだけ生命視して、お母様と一つになれたのかを強調された。神様は創造したアダムとエバに、天の父母様を根っことして一つになって成長せよと願われた。天が見る時に、絶対信仰絶対愛絶対服従で成長した姿を願ったが、堕落で出来なくなった。しかし堕落人間を捨てる事が出来ない神様。これは、堕落したけれど堕落する前までは親子の心情の因縁があるから、神様は絶対捨てられない。なんとしてもその成長と、成し遂げた姿を見ないといけない。それ故、天は何倍もの苦労をされた。そして天の夢・天の願いは、人間として勝利した真の父母様なくしては成就出来ない。このような真の父母様。それをあなた達はどのように見つめ、そしてその真の父母様に対して申し訳ない思いをどのように持ったのか。この内容をお母様が切実に語られている。
悔い改めの世界がどれだけ出来たかが、3日間の大きな成果だった。まず悔い改めが出来るというのはどういう事なのか。よく食い改めると言っていたし、よく反省だとか悔い改めと言うが、悔い改めは責任意識の自覚がなかったら出来ない。私に与えられた責任をどれほど深く自覚しているのか。この責任意識の自覚がなかったら、悔い改めまでは行かない。全て教会が問題だ、教会の責任だと思っている人は、出来なかったら教会の批判をする。自分の責任だと思っていない。確かに色々あるし不足な点もあるが、根本的に私自身の責任が何だったのか、何なのかを自覚しない限り悔い改めは出来ない。アダムとエバは堕落したが、神様との関係は切れていなかった。堕落して血統は変わったが、神様はそのアダムとエバに問いかけている。堕落した直後、そのアダムに質問をしている。「どこにいるのか。取って食べてはならないと言ったのに、お前は取って食べたのか」と。それは神様がアダムを信じてアダムに与えた責任だった。すると、アダムは「女が与えたので食べた」と言った。それは事実だが、女がくれたので食べたと言った瞬間、アダム自身の責任を放棄し消滅した事となり、その瞬間神様とアダムとの関係が消滅した。本当に責任意識があるならば「申し訳ございません。ごめんなさい」と言う言葉が出たはずである。あれだけ神様に言われた私が「戒めを本当に破って罪を犯しました」で留まらず、もう一度神様の愛の懐に戻りたければ「許して下さい」と言う言葉が出てくる。結局はアダムに相対出来なかった神様は「女よ」と聞いた。女は(神様からの戒めを)アダムから聞いて知っている。エバは「蛇がくれたので食べた」と言った瞬間、エバは責任を放棄した。ここから神様との関係が切れて、アダムとエバを通しての復帰摂理の道が閉ざされたので、その息子娘から(復帰摂理は)始まっていった。
だから責任分担、責任意識というものは、神様と私を繋ぐものである。そう考えると、祝福を受けたからと言って神様との関係が繋がったという問題ではない。確かに血統は天の父母様に変わったが、神様と私の関係はどこで結ばれるか、それは責任分担。それがあって、それが成されていない事に対する切実な思いが、悔い改めという内容に繋がっていく。成しえていない事に対する申し訳ない心情、そしてその申し訳ない心情の大前提がある。私を愛してくれた天の父母様の愛の心情をどれだけ知っているか。この度のチョンウォンジュ室長の話で、お母様は明け方の月を見られ、お父様と会話されておられる、と言われた。お母様は丹心歌を謳いながら、骨が土となっても心が変わる事があるだろうかと、お父様と会話しながら、天の父母様に対して精誠を立てて来られた。その心情、お父様を思うお母様の心情、そして全人類の事を思う、また私達一人一人の事をわかってそのようにしておられるお母様、真の母の心情をどれだけ私達が感じているのか。そこから悔い改めが出発するのではないか。その世界を日々生活の中で求めていかないと伝わってこない。どこか押し入れの中に閉まってしまうと、わからなくなる。皆様も年をとると何をどこにしまったかわからなくなっちゃっているでしょう。私達の心もそうなっている。
最後に聖書に「悔い改めに相応しい実を結べ」という言葉。本当に変わらないという決意が出来たのか。責任を果たすということ。では私達の責任とは何なのか。難しくない。8系430代の先祖解怨と祝福を如何に成し遂げるか。これは私達祝福家庭に与えられた、教会ではなく私達家庭に与えられた責任の一つがこの内容である。もう一つは、430家庭の祝福伝道これも教会に与えられた内容ではない。私達祝福家庭に与えられた責任。基台長区域長と一緒になってやっていく世界は、あくまでもサポート。そしてそれが成就していけば。
もう一つある。それは高地奪還という内容。血統が代わり主権者が変わったから、2つを解決しないといけない。真の父母の責任は、最終的には高地奪還。家庭メシヤを勝利し、夫婦一体親子一体となって、家庭メシヤとなりながら氏族メシヤを勝利し、国家メシヤ、世界メシヤになっていかないといけない。(お母様は)430で終わるのではないとおっしゃっておられた。それを皆が真剣に一つになって出来れば、世界貢献、母の国の使命も伝道基盤や渉外基盤もでき、私達の息子娘も430家庭に入る。それで2世3世青年の祝福問題も全てクリアできるようになっ
ている。それを教会公認の下に如何にするのか。すなわち今は国がないから、国の代わりに教会がある。教会を無視したら、どんなに氏族メシヤをしても国は立たないようになっている。もっと言えば、戦闘機に対する基地、燃料を補給したりパイロットを補給したりする基地が教会。戦闘機が氏族メシヤとすれば、必ずきちんと基地に繋がっていなければ闘えない。もう一つ空母があるが、あちこち移動して基台のようなもの。海に出て行っても、空母が近くにいれば空母に着陸して燃料も貰う事が出来る。だからそこを抜きにしては出来ない。逆に教会は、み旨が進むように如何に共助するか。こういう形を持って、新たに責任を自覚していけるかどうか。この事を基元節からお母様がおっしゃっていた。しかしあまりにも色々な事がある。色々な考えで、お母様と一つになる事を考えずに、「ああだ、こうだ」と。「ああだ、こうだ」と言う背景の中に、○×なら○×に簡単に祝福家庭に勝利させまいとする霊界がある。そういう霊界は、清平と連結して解怨祝福して平準化していかなければいけない。平準化して共助圏に帰って行けば、自動的に地上の摂理が進むようになる。今、8月1日に言った内容の河内キリシタンの特別解怨に取り組んでいるが、そういった事も進めながら、どんなに霊界を整理してもどんなに空軍が空爆しても、(最後は)陸軍が押さえないと完全に鎮圧にならない。私達一家庭一家庭が一歩でも二歩でも前に進んでいかなければ基盤が出来ないし、天の父母様の夢が実現出来ない。
最後に、どれだけお父様お母様の名前を呼び求めていたのか。皆さん、清平役事に沢山参加されるが、役事の最後の結論は何かと言うと、頭や体を叩き丹心歌を御父母様に心を合わせながら歌い、痛声祈祷。アボジオモニと自分の殻を打ち破って切実に名前を呼びながら祈れたかが、清平役事の最終的な結論。その時にふにゃっとなれば、役事でまだまだ分別できていないか。その瞬間に自分の全ての殻を脱いで叫ぶ事が出来るか。叫んで何になるか、深い祈りの方が良いのではないかと思った事もあるが、そうではない。皆さんが難しい問題にぶつかった時に、どれだけ父母様の名前を叫んで、父母様によって解決を切実に求めたのか。
もう一つは、どれだけ御言ばを読みながら、そこに解決の道を求めたのか。この事が非常に大事。もし清平役事だけやって摂理が進むなら、摂理はとっくに終わっている。清平役事は重要だが、私達一人一人の父母様に対する姿勢が大事。
もう一つは、(復帰摂理の)主人は私達祝福家庭である。すなわち、皆様である。年頭標語があるが、創造主、天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう。真の主人は、私であり、私の家庭である。だからこそウリヌンハナダを叫ばないといけない。私の家庭がそれぞれ独自に言ってはいけない。だからこそ、その責任を持った家庭が一つになった時に、霊界の役事が起こって来る。ウリヌンハナダで一つとなり、悪の霊界と闘って勝利しないといけない。毎月毎月その闘いをしながらも伝道して、苦労しなくても出来る基盤を如何に早く作るのか。それがこれからのテーマになってくると思う。
今日のタイトルは、真の母の願い。真の父母の願いとはしていない。すなわち、私に逆らう者は許しがない。「私が最後」なので、今はお母様の願いと一つにならないと希望がない。お母様も真の父母様ではあるが、今この地上においてお母様と一つにならなければ希望がない。逆に言えば、お母様と一つになれば全てが解決する。ビジョン2020までに何が出来るかが問題ではない。「南北統一出来るのか」とかと言う問題ではない。それも問題ではあるが、もっと深刻なのはビジョン2020までに私達に何らかの決定が下されると言う事。これは2005年2月14日にお父様が語られた御言の中に、「皆様のこれからの生活は、皆様だけのものではない。真の父母に侍る事が出来なかった事が恨となっている皆様の先祖は、皆様を通して真の父母に侍る。だから60億の人類は騙せても、先祖たちは騙せません。皆さんの生活の一挙手一投足を炎のような目で見ている。そして善悪を基準として、この4年間で決定を下す」という御言がある。決定が下ったかと言うと、それが御父母様の御言だった。決定を下る所が、私の代わりにまな板に載って下さった。生きて帰って来られた事に対して同死同生と言われた。実体復活、それは私達も一緒に死んだが御父母様が死んで復活された。私達には直接的なものはなかったかもしれないが、同じである。お母様がもう一度集めてもう一度許して、そして決意してこの半年間の基元節までを見てみようと言われた。不足だった私達を見て、ある時はお父様自らが普通の人なら死んでしまう状況に立てられる。最後の最後、2012年はお父様の自らの命をもって、私達の道を開いて下さった。お母様も同じ。でもお母様の生活を見ていると、本郷苑の坂を歩いておられる。何故か、お母様はなくなれば天国行は決まっているが、私が少しでも長生きしなければ、地上にいる期間、私達になせる時間が与えられているという事。お母様は昼も夜もない生活の中で毎日散歩しながら、出来るだけ長生きできるように自らも努力しておられる。そして「私も努力しますから、皆さんも努力して下さい」と最後おっしゃった。
この3日間はとにかく雨だった。いい加減明日は晴れるだろうと思っても雨で、傘が物凄く活躍した。ところが最終日の朝まで降って止み、本郷苑に行った時には完全に雨が上がって、お母様は一言「天候も皆さんに役事したでしょう」とおっしゃった。すなわち「雨でもって皆洗い流して、新しくなれたでしょう」と。天譜苑の奉献の際には雨が降らなかった。本当に真のお母様中心に全ての霊界や全てが回っていると思う。ですから、○×の人が一人も真の父母を知らない人がいないように、祝福を知らない人がいないように、私達が精誠を積み重ねていきたい。
・・・・・・・
感想文のようでした・・・
ここまで聞いて書き取ってくださった方?お疲れ様でした。
読みにくいですね。
気になったのが、「もう一つ・・・」が何度もあり、
「最後に」も何度もありました。
この文を読んだ感想は、
あまりにもチグハグな矛盾が多いという事です。
あっちにこっちに飛んで、一貫性がありませんでした。
これは
拝の場で語られたのでしょうけど、
一言で言うと「脅し」に近いですね。
お母様を神格化し、お母様に逆らえば許しがない、
「地獄に行きますよ」と言われているようでした。
この内容はある教会で語られた事ですが、
(○×は教会の事。地区の名前)
聞くところによりますと、
もちろん同じように他地区でも語られているそうです。
「生前のお父様のみ言と違う」という事で、
今、以前よりざわつき出したメンバー達が多いと、
伝わってきています。
何よりも本来準備していたものが、ダメになりましたので、
幹部達も心の底では、
これ以上お母様に語って欲しくない事があるのでしょうね。
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